エッセイ、ドンキーマカセ、なぜ、人生の楽しさ・うれしさの発掘現場が開発・知財等なのか?
- いのちのメッセージ―――今日また「新しい人生」がはじまる・・・・・ 三笠書房 電子書籍
- 三笠書房
- 2012-08-16
- Kindle本
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なぜ、人生の楽しさ・うれしさの発掘現場が開発・知財等?、(1)
この疑問は、サラリーマン人生のスタートでは、当初、全く湧きませんでした。
それは、安定した人生を東京の1部上場企業に就職すれば、ほぼ獲得できると考えていた。
すなわち、サラリーマン生活で安定・順風の人生を過ごす夢を描いていたのです。
まず、就職、それも、一部上場企業への就職を目指すことでした。
まさに、小さい、しかも安定を望む、サラリーマン生活の船出を夢に見ていたのです。
田舎の実家では、子供たちの就職を喜ぶ時期です。
5人兄弟のため、高校卒業したら、あとは自らの力で生活するこが原則でした。
其れで、長男以外は、実家を離れて、自らの人生へと船出する習わしです。
近所の各家も、ほとんどそのような進路を目指す若者でした。
これは、実家を良く知っての実家の負担をできるだけ軽減する策なのです。
その進路には、だれも逆らえない実家の経済事情です。
母親一人の稼ぎと、日雇いの男性と、父親は監督以外野外での仕事ゼロです。
やはり、母親の大変さを早く楽にしてやりたい心境以外、湧く時期でなく、まずは、就職でした。
昭和36年頃の田舎の様子です。
このような心構えでの就職ですから、人生など安定したサラリーマン以外、思いつくはずもなく、
ヘイヘイボンボンの人生を描く、空想の世界でした。
でも、少なくとも自家kへの負担は、ゼロにできたし、母親の金銭の苦労は削減できたと思ていました。
この時期、我が家では兄と私の2人のサラリーマンが、東京へ出発したのです。
すぐ下に妹がおり、母親の苦労はまだまだです。
このような心構えでの私の人生スタートですから、チャレンジャーなどの心境はまったく、いや心の片隅にもありませんでした。
それが、東京の現場での怒涛の荒波の凄さに、かすかな灯台が全く見えなくなたのです。
予測をはるかに超える現実に、ただただ、---?です。
あなたは?
この続きは、後日。
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