エッセイ ドンキーマカセ 別れは悲しい。
別れは悲しい。
先日、家内の弟を見送りに山形空港に家内、娘、娘の子供2人、
一家総出で名古屋に帰る彼を見送りに出かけた。
空港の駐車場は、ほぼ満杯、えええ、なぜこんなに出かける人が多いのか?
それでも駐車場が広いので、出這入るもあり、駐車スペースを見付けるのは簡単です。
そこで、出発まで約1時間あり、空港内の待合スペースでTVを見ながら
出発の時間まで椅子に座りまたのです。
まだ、乗るべき飛行機が、到着せず、時間遅れの表示が有り、約10分の到着遅れだそうです。
すると、出発時刻は、16,50分だと。
そこで、関係者はかわるがわる写真を撮り、思い出を創ることにしました。
そして、いよいよ搭乗口に向い、このゲートをくぐるときに、孫の男の子(9歳)が、母親のおなかに顔をうずめ泣き出したのです。
それをわきから除く姉(11歳)が、弟がないているとくちばしり、それにつれ、家内と娘も泣きだし、
別れの辛さに、悲しみがあたりを包むのです。
私は、なぜなくのと、聞き返すと娘は、なくだけ感情があり、優しいのだと、
それがなぜ悪いと、聞き返すのです。
まさのデリカシイいの無さが表れた瞬間でした。
是は、高齢化のせいなのか?
或いはもともと無感情なのか?
最近、悲しみに鈍感になったのか?
一寸、異次元の世界に入り込んだ感じで、情けない気がした。
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